写真は、単に目に見える姿を写し取るだけのものなのでしょうか。
「念じて撮る」という言葉を手がかりに、写真を撮る瞬間に生じる意識やエネルギーのやり取りについて探ります。
撮る人と被写体の間に生まれる、目には見えない「エネルギールート」とは――。

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2009年1月23日

以前、ピカソやダリ、ボッチョーニを例に取り、芸術上での無形のモノのやりとり、意識の働き、エネルギーの移動などについて述べたことがありました。
本日、「みのたろう」さんのブログで写真について、専門家の意見が出ていましたので、写真にとっての無形のモノのやりとりについて、お話ししたいと思います。

「みのたろう」さんのブログでは・・・・・、
写真家の白川義員氏は、自らの衝撃的な体験を通して、
「写真とは、シャッターチャンスをただ待つのではなく、『念じて撮る』のだ。」
と語っているとのことで、氏はこの仕事を通して自然への畏敬の念を啓蒙したいようだとしています。
「みのたろう」さんのブログは、こちら

実のところ、写真では、情念のやりとりが、瞬間的に爆発しておこります。
爆発的なやりとりがその瞬間に起こるということをお伝えしておきましょう。その写真を現像した時に現れるだけではなく (これはフィルムの場合。デジタルカメラでは、ディスプレーに写した時) 撮影した瞬間、撮影した瞬間、その時その時に、エネルギーを交換し続けるエネルギーのやりとりのルートが出来るということです。

それでは、エネルギールートができるとするならば、写真を撮るときに自分のエネルギーが、そこに注がれるということはあるのでしょうか?
それは、以前お話ししたピカソの如く、写真においても、被写体からエネルギーを取ろうという意識が有るか無いかは別として、相手のエネルギーを取ろうとして写す者と、自分のエネルギーを相手に注いでしまう者と二種類あるのです。
(つづく)

増田庸文老師のブログはこちら
https://www.hinomoto-genkyoku.com/post-10196936522/