功は日常にあり

~増田庸文の唯一無二の記事を日々お届けします~

増田庸文が元極を始めた当時の興味深いお話の2回目です。

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元極を始める前、一年間、他の気功法を習っていました。

一ヶ月数千円。
近くて便利、そして安い、今考えてみると気功法としてもそこそこ力のあり、

先生も立派な方でした。

しかし、一年後に元極に出会い、
遠くて高い、この功法を習おうと思ったのです。

時々次のような方がいらっしゃいます。

「市で主催しているスクールは、一ヶ月500円で気功を教えてくれます。」

そういうところに魅力を感じる方は、そちらに行っていただければよいと思います。

価値観が全く違うのですから、致し方ありません。

代々数百年続く秘伝を、500円の月謝で教えると思いますか?

せいぜい、ラジオ体操くらいのことです。

中国には、「黄金で道を買う。」という作法があります。

何十年も苦しい修練の成果を「500円で教えてくれ」というような者には、

渡すことはできないでしょう。

教えてもらう方にも、それなりの覚悟が必要です。
オッと、随分脱線してしまいました。

蓮花山に行くとき、私は相当な覚悟で行きました。

当時、自分で小さな会社をやっていた私は、蓮花山に行く2週間という期間は、

仕事上では致命的なものでした。

何が何でも、何か掴んで帰ってこようと、
必死の覚悟で行ったことを今でも覚えています。

そんな気持ちは通じるもので、帰る頃には人の体の状態が、

ある程度、判るようになっていたのです。

帰ってからも、自分なりに研究し、その力を磨く努力をしました。

だって、誰もそんなこと教えてくれる人が居なっかったんですもの・・・・。

手に入る気功の紹介本を手当たり次第に購入して濫読しましたが、

人の体の中を観る方法なんてことは何処にも書いてありませんでした。

それでも、ただ一冊、ホンの一行、手掛かりになりそうなことが書いてあるのを見逃しませんでした。

その一行から独自に、いろいろ試しているうち、

自己流の練習にも関わらず、その力はだんだん本物になってきました。

その手掛かりは、何十冊もの本の中のたった一行だったのです。

<2013年1月1日「掛け金を下ろす2」>

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このお話を読み、我が身を振り返ってみると、高額のお金を払ってでも手に入れたいもの、惜しくないものは何でしょう。

そしてそれは、なぜでしょう。

突き詰めて考えてみると、潜在的に自分が一番求めていること、大事にしていることが見えてくるのかも知れません。