功は日常にあり

~増田庸文の唯一無二の記事を日々お届けします~

前回に続き、「神鳳遊歩功」の仕組みについて、詳しくお伝えします。                                                                        

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「神鳳遊歩功」が大きく寄与しているとのこと。
それについて論じています。

「清昇濁降・ム」も湧泉から邪気が大量に排泄されます。
そして、百会と湧泉の縦の経脈の流れが圧倒的に多くなります。
もちろん、新たに経脈を創っていく働きもあります。

が、しかし、労宮から気のエネルギーを取り入れて、肺を通じて、中脈に流れる気の流れを形成している功法は「神鳳遊歩功」に勝るものはありません。

「清昇濁降・ム」では、三門と毛孔竅穴から気のエネルギーを取り入れますが、最短距離の経脈を通って中脈に集まってきます。
その気の流れと「神鳳遊歩功」の労宮を通じて、中脈に集まってくる気の流れとは異なるものです。

この動作で、足を動かせば、手は自然に動きます。
この自然な動きこそ、脱力した動きです。
脱力した動作こそ、邪気を無理なく排泄することが可能になります。

肩に 力が入らず手が自然に動いている動作は、結果的に、脱力できている姿勢です。
脱力できている姿勢は、結果的には12字真言に集中できていることになります。
肩や、腕の拘束がなければ、労宮からの気の取り入れもスムーズに運びます。

力の入りすぎや、拘束するもの(物を持ったり、きつい衣服など)があれば、労宮からの取り入れや運搬、毛孔竅穴からの取り入れも十分にはできないのです。

すなわち、どの歩き方が良いのかということではなく、歩いていると自然に手が振れる、そこには、拘束するものがない。
意識も解放されて力が抜けている。その状態が理想的な訳です。

歩き方を意図せず(考えず)、脱力したものでなければいけません。
思考で拘束されると、毛孔竅穴は開きません。
無意識に脱力された、緩やかな動き、その結果に12字真言に集中する意識があれば、それらに感応して、細胞がはたらき、解放されることになります。
要は、如何にリラックスして気持ちを開け放ち、言霊の響きを全細胞に届けるかということが重要なのです。
これは、どの功法でも同じことです。

そういう意味では、坂道ではなく、平坦地を歩きやすい、さわやかな道をゆったりと歩くことです。
車や、人に気を遣わなくても良いところ、”念訣”に意識を集中して歩けるところが最良でしょう。
そういう、修練の方式が優れていると思います。

アトピー、アレルギー、花粉症、そうした肺に関係した病の方々に是非実行していただきたい功法です。

<2010年5月25日、26日「神鳳遊歩功と、肺からの邪気排泄の特徴3、4」>

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疾病の原因に向き合い、根本的な対策をとっていることがよくわかります。
病に対する有効な手段として、「神鳳遊歩功」の修練を選択することは、遠回りのようで、実は一番の近道となることでしょう。