増田庸文老師のブログをご紹介しています。
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大変興味深い内容ばかりで、読み応えがあります。話題に多様性があり切り口が鋭いのも魅力です。
今回は、その中でも大変貴重な、張志祥老師のお父様についての秘話を、2回に分けてご紹介します。
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2012年5月15日、2012年5月16日
張志祥先生は、張家の四代目の掌門人であると仰ってみえました。「張氏の祖先が王氏に師承して、『元極図』と『元極秘録』の秘伝を継承し、
(十字真言は、代々継承されてきたものではありません。
元極功法公開時に、神から直接張志祥先生に伝えられたものです。)
三代相伝えた。」
三代目が張先生のお母さんで、張先生が四代目を受け継がれたわけです。王氏というのが、普善禅師と呼ばれる元極道の開祖です。
私が、張先生は元極道五代目の掌門人であると言ってきたのはそういうことです。
ここで、皆さんは不思議にお思いになりませんか?
中国では、結婚後も苗字は変えずに、そのまま使われます。子が出来た時、子の苗字は父方のものが使われます。
ですから、張家で四代伝えられてきたのであれば、三代目のお母さんの苗字は張であり、
元極道は張志祥先生の母方で引き継がれてきたことになります。
しかしながら、志祥先生のお母さんの苗字は、「夏」なのです。
つまり、父方で受け継がれてきたにも関わらず、三代目は母なのです。常識的に言って(元極道は常識を遙かに超える存在ではありますが・・・)
二代目が、自分の子に衣鉢を渡さず、その嫁に渡すことがあり得ましょうか?
張先生のお話や著作の中には、お母さんのことは度々出てきても、
お父さんのことは一切出てくることがなかったので、なぜだろうと常々思っていました。
実は、誠に奇妙に思われるかもしれませんが、張家では三世代にわたり四代の掌門人が存在するのです。
志祥先生の父方の祖父が、普善禅師より衣鉢を賜り、
その子=志祥先生の父に渡し、その父が妻である志祥先生の母に伝えたのです。
そして母より志祥先生に元極道は渡され、張家四代に伝えられたというわけです。
これは日本の十四代天皇(と言われている。実際は十六代)仲哀天皇、
その仲哀天皇がお亡くなりになった後、
その座を受け継いだ神功皇后(現在では天皇に数えられていませんが、実際はその座に着かれたそうです。)、
そして神功皇后の子(仲哀天皇の子ではありません。)である
十五代天皇(現在ではそう数えられている。実際は十八代になります。)応神天皇のお三方が、
二世代でありながら三代の天皇の座に着いたことと同じようなものです。
私が不思議に思ったきっかけは、張先生からのお話を書物にしていた二冊
(元極学混沌初開法:李大川編訳、元極功入門:広岡純著)を
読んだからです。二冊から、その大筋を拾ってみましょう。
ある禅師が亡くなる前に張志祥に「時が来たら必ず四川のある隠遁の高師を尋ねなさい。」と言い残した。
そこで張志祥は四川省の深山へ陰居している老師を訪ねていくことにしました。
四川は、張の居る鄂(がく)州からは千里の道のりです。
張志祥は母親が最後のアクセサリーを売って得た200元のお金を貰って、
長江を遡る四川省への帆船に乗りました。
船が重慶の埠頭に着くと、彼は船を離れて目標の大山へ向かいました。
隠者の師父の住所が判らないので、彼は四方八方探して歩きました。
ある日やっと一つの洞窟も門が開いて、おごそかな態度の隠遁の師が出て、彼を呼びました。
張志祥は、洞窟で老師に10ヶ月教わって、故郷の張師村に戻りました。
洞での一日の修練は、世上の三千日に匹敵すると言われます。
(つづく)