前回、普善禅師は「受け継いだそのままを、次に受け渡してはならない」という教えを守るため、悩みに悩んで、ついに元極図と十字真言を受け取りました。今回はその後、禅師が張家に衣鉢を渡すまでのお話です。
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2012年6月28日、2012年6月29日

何事も悩まなければ、新しいモノは生まれません。

ゼロから新たに始まることであっても、何もかもゼロではなく、継承されて受け継がれてきたものなのです。

普善禅師が、悩み続けた結果、天から与えられました。禅師が発見した、悟ったといえば、そうかもしれません。

悩んだ結果のことかも知れませんが、導きによって、受けとったモノなのです。

普善禅師が受け継いだのは、本人曰く、「まだ充分ではない、がさつな生き方をしていた若い頃」です。

若い頃と言っても、中年頃、40才を過ぎた頃のことです。
360歳まで生きた彼にとっては、40歳という年齢は、若い頃だったのでしょう。

その後、張志祥の祖父に衣鉢が引き渡されるまでに、約240~250年もの年月がかかったことになります。

それはどうしてかと言えば、張志祥に渡すことが定められていたからです。

張志祥に渡すことが定められていた

天が定めていた事ですから、彼はどうしても張家の人間に渡さなければなりませんでした。

張家に渡すために、普善禅師は張家の人材をずっと見ていたのですが、
なかなか適任者を見つけることが出来ませんでした。

彼は死ぬにも死ねず、随分待たされたのです。
待って、待って、漸く張志祥の祖父に渡すことが許されました。

にもかかわらず、張の父親は、風来坊のような、もちろん、悪い人では無かったのですが、自らの功法の枠を拡げるような役割をしてくれましたけれど、随分回り道をしたのです。(注: 「張家掌門人」 参照)

このように、元極功法とは、一家の秘宝として守られるような功法ではなく、「一子相伝」一番優れた修練者に渡されていく功法だったのですが、
張志祥に渡されるように定められていたので、回り道をしたのです。

そのために、普善禅師は、功法を温存して待ち続けていたのです。
待つ必要があったため、普善禅師に、360年もの命を神が与えたのです。

しかし、桁はずれた長命と言っても、枯れ木に精が漲(みなぎ)っていたというようなことで、長生とはいえ、彼の肉体は、やはり老人の肉体だったのです。