功は日常にあり

~増田庸文の唯一無二の記事を日々お届けします~

「功は日常にあり」をサブタイトルに、増田庸文の珠玉の話をお届けしていきます。

この「功は日常にあり」について、「階ひと」高級(恒久)の教科書に掲載されている教えを抜粋いたします。(※2007年9月24日初公開/現在は、カタカナバージョンになっています)

日々生活するうえで、ついつい忘れてしまいがちなことですが、時々我が身を振り返り、肝に銘じておきたいお言葉です。

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身体的に病気の者や、極めて不良の精神を煩(わずら)う者たちの功法は、すでに「階ム」や「階ヒト」初級・中級・上級クラスで修錬してきました。
この「階ヒト」高級(恒久)クラスの功法は、病気や精神を治すための功法ではありません。

ノーマルな通常の精神を持ってはいるけれども、より気高い精神を目指さなければいけない者たち、スタッフや今後、極めて気高い仕事をしなければいけない者が、陥りやすい穴のような部分があります。それは、好み、嗜好、道楽などの我欲や、「自分を癒してやりたい」という自己に対する甘えの感情です。

通常は、見えにくいものですが、弱さに鑑みて出てきます。そこのところを修正しなければ、指導者として存在していくことができません。
そこのところを、是正するようなそういう功法が、この特次元静功「声聞法」と「きとみ声聞遊歩功」です。病気を癒すことは、すでに「階ム」の段階で提言されています。

しかし、それ以上に、弱みを克服することは至難の業です。人としての弱みは、誰にでもあるものですが、その弱みを克服するような功法が「階ヒト」の功法の最後に設定されました。

そして、今後修練だけではなく、日々の生活の中で悪い習慣、欲の連鎖、気のつくことがあれば修正していきます。底に穴の開いた鍋に水を注ぐ様な、愚かなことを続けていてはいけません。

日々のつまらないことから修正していきます。

喫煙の習慣、賭け事、衝動買い、ひとへの批判、甘え、節度のない飲酒、正邪によらず損得勘定による行動など、どこにでもあるつまらないことの排除から始めます。

「功は日常にあり」――元極秘録の教えです。

人が人として肉体を持って存在する限り、恒久的に修練方法として有効である、段階を超越した功法です。

<2009年1月18日ブログ 「階ひと」高級(恒久)クラスとは>

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“底に穴の開いた鍋に水を注ぐ様な、愚かなことをしていないか?” 日々、自問自答することが大切です。