写真を撮るときの「意識」や「想い」は、写真にどのような影響を与えるのでしょうか。
今回は、撮る人の意図に応じて生じる、目に見えないエネルギーのやりとりについて考えます。
「どんな気持ちで写真を撮るのか」という視点から、写真の奥にある不思議な世界を探ります。
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2009年1月24日
写真家の白川義員氏は、自らの衝撃的な体験を通して、
「写真とは、シャッターチャンスをただ待つのではなく、『念じて撮る』のだ。」
と語っているとのこと。
氏はこの仕事を通して自然への畏敬の念を啓蒙したいようだという「みのたろう」さんのブログに触発され、写真での無形のモノのやりとりについてお話ししています。
エネルギーは、無形のモノですから、無形の意識に左右されます。意図があれば、無形の意志に左右されます。無形の意志に同調して動きます。
カメラマンに、通常では写らないモノを撮ろう撮ろうとする意識がある場合には(オーブのようなモノを意識的に撮ろうとする場合など)、その意志に動じてエネルギーが動きます。
それは無形のモノですから、波動が同調するエネルギーのみが動きます。たとえ、被写体に多くのエネルギーがあったとしても、そこ(カメラ)に、受け取れるエネルギーというのは、同調するエネルギーだけです。
善意を持って写そうとすれば、そのような善意のエナルギーが転写されますし、功名心を持って撮ろうとすれば、そんな荒い波動のエネルギーが集まってくるのです。
無形のやりとりとは、そういうことです。
双方の意志が同調しなければ、そこには、関係は出来るけれども、お互いの意図の関係は、より強く意志を持つ方に支配されます。写真を撮られる方に格別な意志がなければ、撮る方の意志に同調して、動くことになります。
相互の関係ではなく一方に意図があれば、一方の意図に、引きずられるように、一方の意図の延長線上の波動に、引きずられます。
(つづく)
増田庸文老師のブログはこちら
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